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千葉地方裁判所 平成2年(ワ)1759号 判決 1993年12月22日

主文

一  被告は、原告に対し、金一二〇一万五四三三円及びこれに対する平成三年一月二八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを五分し、その二を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

ただし、被告が金五〇〇万円の担保を供するときは、右仮執行を免れることができる。

理由

一  当事者

請求原因1の(一)の事実は、《証拠略》により認めることができ、同(二)の事実は、当事者間に争いがない。

二  保育委託契約の締結

請求原因2の事実は、当事者間に争いがない。

三  本件事故の発生及び春子の死亡

1  原告が、本件事故当日の午後六時一五分ころ、被告との間の保育委託契約の基づき、春子をいつものとおり被告に預けたこと、この日の夜間は、従業員の保母が全員休暇をとつていたので、被告と被告の妻の二人が春子を含め四人の乳幼児の保育にあたることになつていたところ、午後六時三〇分ころ、被告の妻が自分の子供に食事をとらせるために自宅に帰つたために、それ以後は被告が一人で保育にあたることになつたこと、被告が、午後六時三〇分ころ、春子に食事をさせた際、春子はいつもより食欲がなく、また、食後には泣いたりしやくりあげたりしていたこと、その後、被告は、右状態にある春子を丁原夏子と一緒のベッドに入れ、他の二人の乳幼児は床の上で遊ばせていたことは当事者間に争いがなく、右争いのない事実に《証拠略》を合わせると以下の事実が認められる。

(一)  春子は生後順調に発育し、平成二年五月ころ風邪のため三八度五分の熱を出し、同年七月突発性発疹にかかつたほかは特に身体の異常はなかつた。

春子は本件事故当日、午後一時ころ起きて野菜炒めやご飯を食べ、ミルクを飲んだ。この後原告は春子を入浴させ、午後四時ころから六時ころまで昼寝させた。春子は数日前から風邪気味で、当日も鼻水を出していたが、原告は平熱と見て検温はしなかつた。原告は春子を起こして、午後六時一五分ころ同女を被告に預けたが、その際特に春子の身体の状態について被告に引継をしなかつた。

(二)  被告は、春子が登園後暫くの間いつもよりよく泣いていたので、抱つこ等してあやした後、午後六時三〇分ころ、夕食としてコロッケ等を食べさせようとした。ところが、春子は舌で食べ物を押し出すなど普段より食欲がない様子だつたため、被告は春子に食事をさせるのを止めて、同四〇分ころから約一〇分間、保育室内において、テーブルの上を片付けたり、食器を洗つたりした。その間、春子は、泣きながら被告にまとわりついていた。

(三)  被告は、後片付けが終わつた午後六時五〇分過ぎ、別紙添付図面のとおり、春子を保育室内にあるベッドに入れた。この時、右ベッド内では丁原夏子が静かに座つてテレビを見ており、被告はそこに春子を座らせる形で入れたのであるが、春子は暫くの間ベッド内で立ち上がり、ベッドの柵に掴つてベッドをがたがた揺すつたり、あるいはしやくりあげるように泣いたりしていた。

また、この時、他の二人の幼児は、保育室内の床に寝ころぶ等してテレビを見ていた。

(四)  被告は、春子をベッドに入れてすぐ、保育室の隣にある事務室に入り、椅子に座つて、同人が浦安市で別に経営していた保育所に関連して必要な書類の作成作業を始めた。被告は右作業中、椅子に座り机に向かつて執務してしたが、書類作成に必要な資料を真後ろのコピー機の上に置いていたため、時々後ろを振り返つてはいた。

右作業中、保育室と事務室との間のドアは約九〇度開けられていたが、事務室内の椅子に座つている体勢では、机の方を向いてベッドを見通すことができないのはもとより、椅子の向きをベッドの方に向けても、春子の入つていたベッドの東端がわずかに見通せるに過ぎず、事務室内から春子のいたベッド全体を見通すためには、保育室の方に一歩身を乗り出さなければならなかつた。

ただ、いずれにしても、事務室とベッドとの間の距離が五、六メートルあるため、室内が静かな状態であつたとしても、事務室内からでは、ベッド内で春子が音を立てて嘔吐するなど顕著な外部的異常を示してもそれに気付くことは困難な状況であつた。

また、被告は、右作業を始めてから春子の異常を発見するまでの間、春子の側に行つて様子を見ていない。

2  被告が救急車を呼んだこと及び春子が救急車で船橋市立医療センターに運ばれたことは当事者間に争いがなく、右争いのない事実に、《証拠略》を合わせると、以下の事実が認められる。

(一)  春子はベッドに入れられてから暫くの間は、ベッドの柵に掴まつてがたがたとベッドを揺すつていたが、その後、何らかの原因で嘔吐し、吐瀉物を吸飲して気管支に詰まらせ、窒息状態に陥つた。

被告はこの時事務室で作業をしていたが、ふと、先程までベッドをがたがたと揺すつていた春子がいつの間にか静かになつているのに気付き、春子が眠りについたものと思い、春子か丁原夏子のどちらかをベッドから下ろそうとしてベッドの側に行つた。そこで初めて、春子がうつ伏せになつてぐつたりした状態になつているのに気付き、直ぐに電話で救急車の出動を要請した。

被告が春子の異常に気付いた時刻は、救急車出動を要請した時刻が午後七時一八分であることから逆算して、午後七時一五分過ぎであつたものと推認でき、したがつて、春子が嘔吐してから窒息状態に陥るまでの出来事は、被告が事務室にいた午後六時五〇分過ぎから午後七時一五分過ぎまでの約二五分間の間に起きたものと推認できる。

(二)  被告は救急車の出動要請をした後、原告の職場及び自分の妻に電話連絡をし、それから春子を抱いてマンションの一階に降り、救急車の到着を待つたが、救急車が直ぐには到着しなかつたため、一旦七階の保育室に戻り、再び一階に降りたところで救急車が到着したため、春子を救急隊員に引き渡し、自らも救急車に乗り込んだ。

春子は、救急車が被告マンションに到着した午後七時二三分の時点で既に心拍停止、呼吸停止、瞳孔散大、全身チアノーゼ状態であつた。

(三)  春子は、午後七時三六分、右救急車で船橋市立医療センターに搬送され、治療を受けたが、午後八時四〇分、死亡が確認され、死因は吐物吸飲による窒息死であつた。

四  被告の注意義務違反

1  監護義務違反

前記当事者間に争いのない事実及び《証拠略》によれば、春子は、事故当日、いつもより多少食欲がなく、また、よく泣いていたが、春子が泣くのはさほど珍しいことではなかつたし、被告の目から見て春子の体調が特に悪いということもなく、そのため、被告は、春子と相性のよい丁原夏子と同じベッドに入れておけば機嫌がよくなるものと考えて夏子と同じベッドに入れたことが認められる。

右の事実関係の下では、被告において、特に春子の体調に注意しなければならないほどの注意義務はなく、春子の体調や機嫌が安定するまで抱つこしたりあやしたりしなかつたからといつて監護義務に違反したとはいえない。また、被告がしくしく泣いている春子を夏子と同じベッドに入れたことも、右のとおり春子の機嫌をよくするために行つたものであり、必ずしも不適切な行為とはいえないから監護義務に違反する行為とはいえない。

2  監視義務違反

(一)  《証拠略》によれば、一歳二か月くらいの乳幼児は、食べた物を嘔吐することがよくあり、その場合に吐瀉物を気管に吸飲し、時には死に至ることも稀ではないことが認められる。右の事実は、一般によく知られている事実であり、業として乳幼児の保育に携わる者としては、常のそのことを念頭に置いて保育にあたるべき注意義務を負つているものであり、右の注意義務の程度は、特段の事情なき限り、乳幼児を注視し続け一寸たりとも目を離してはいけないというほど高度なものではないが、乳幼児が顕著な外部的微表により異常を示した場合には即座に気付いて対応し得る程度のものが要求されているものと解するのが相当である。

これを本件についてみるのに、春子は、本件事故当日、いつもより食欲がなく、また、しくしく泣いていたことが認められるが、これだけでは右に言う特段の事情と言うことができず、原告から特に春子の身体状況についての引継もなかつたのであるから、被告は、春子が顕著な外部的微表により異常を示した場合には即座に気付いて対応し得る程度の注意義務を負つていたものというべきである。

この点について被告は、当日の春子の状態は、外形的に見て普段と変わりなかつたし、また、春子は児童福祉法上乳児ではなく幼児であるから、春子が嘔吐して生命の危険が生じることまで予期して監視すべき義務はなく、注意義務が軽減または免除されるべき旨主張する。

しかしながら、児童福祉法による乳児と幼児の分類は人為的、便宜的なものであるし、春子は本件事故当時一歳二か月であり、同法上も幼児とは言つても乳児に近いものであるから、嘔吐の危険を予期して保育にあたるべきであることには変わりなく、また、乳幼児が嘔吐するのは、体調の好不調にかかわらず、体の未発達、あるいは感情の起伏が原因になることがあり得るのであるから、春子の状態が普段と特に変わりなかつたからといつて、それにより被告の注意義務が軽減ないし免除されるものではないので、被告の右主張は採用できない。

(二)  被告は、前記三で認定したとおり、本件事故当時、四人の乳幼児を預かり、しかも、保育にあたる者が被告一人しかいなかつたにもかかわらず、春子をベッドに入れたまま、午後六時五〇分過ぎから同七時一五分過ぎまでの約二五分間、隣の事務室で書類作成の作業に従事しており、春子が音を立てるなどの顕著な外部的微表により異常を示したとしても気付くことは困難な状況であつたのであるから、被告の右行為は、右(一)の注意義務に違反するものといえる。

3  異常発生後の措置についての過失

前記三2(一)(二)の認定事実及び《証拠略》によれば、被告は春子の異常に気付いた際、春子の口を開けて確認はしなかつたものの、口の回りにはよだれを垂らすなど嘔吐した形跡もなく、ベッドも汚れていなかつたため、被告は、春子がぐつたりしている原因がわからず、春子の口を開けて確認することもなく、とりあえず救急車を要請する必要があると判断して、直ちに電話で救急車を要請したことが認められる。

被告が救急車を要請してから救急車が到着するまでに約一〇分かかつたが、その間、被告は、春子を抱いてマンションの一階と七階の間を往復するのみで、春子の呼吸の確認あるいは、人工呼吸等の救急措置を行つていないことが認められる。

《証拠略》によれば、およそ乳幼児は、比較的簡単に嘔吐しやすく、その場合、吐物を吸飲して窒息死することも稀ではない。そのため、乳幼児の保育に携わる者としては、乳幼児がぐつたりしているのを発見したら、吐瀉物の吸飲を一応疑い、救急車の出動を要請するとともに、乳幼児の口中を開けて確認し、嘔吐の形跡があれば吐瀉物を取り除く措置をとるべきであり、むやみに幼児の体を動かすことは避けるべきである。

したがつて、本件において被告がとつた措置は不適切であり、異常発見後の注意義務に違反するものといえる。

五  因果関係

1  監視義務違反と春子の死亡との間の因果関係

(一)  《証拠略》によれば、以下の事実が認められる。

(1) 吐瀉物吸飲から窒息死に至る経過

嘔吐後、吐瀉物を器官内に吸飲するまでの時間は比較的早く、吐瀉物を気管内に吸飲すると、気管の通りが悪くなるため、自発的に無理に大きい呼吸をするようになり(努力呼吸)、その後、酸欠状態に陥つて意識を失い、痙攣状態を経てぐつたりとした状態に至る。この間の時間は二、三分程度である。

ぐつたりとした状態に陥つた後は、一、二分のうちに呼吸停止に陥り、その後一〇分から一五分の間に心臓停止の状態に至る。

(2) 嘔吐時の外部的微表

嘔吐する際には、胃内部の空気も同時に出るため、音を立てるなど顕著な外部的微表を示すこともあるが、場合によつては、音を立てずに静かに嘔吐することもある。そのため、幼児が嘔吐する際に音を立てるなど顕著な外部的微表を示した場合には、必要な注意をしてさえいればそれに気付くことができるが、逆に、顕著な外部的微表を示さずに嘔吐した場合には、必要な注意をしていても嘔吐に気付かないこともあり得る。

そして、吐瀉物を吸飲して痙攣状態に陥つた後であれば、努力呼吸により大きな呼吸をするので外部的にも顕著であり、必要な注意をしていれば気付くのが普通である。

本件において、春子が嘔吐時に音を立てるなどの顕著な外部的微表を示したか否かは、全証拠によるも明らかでない。

(3) 吐瀉物吸飲の態様

嘔吐後、吐瀉物を気管に吸飲する態様には、少しずつ何度かに分けて気管支末梢部まで大量に吸飲する場合と大量に一気に気管支末梢部まで吸飲する場合とがあるが、前者の態様であれば、一旦吸引した物を喀出して窒息状態にまで至らないことが多く、窒息状態にまで至るケースとしては後者の態様の方が多い。

そしてまた、大量に一気に吸飲した後に努力呼吸をすることにより、更に多くの吐瀉物を気管支末梢部の末端まで吸飲することがある。

本件の春子も、泥状の胃内容物が大量に気管支の末端まで充填しており、かつ、結果的に窒息死に至つていることからすれば、嘔吐後すぐに相当量の吐瀉物を一気に気管支末梢部まで吸飲し、その後の努力呼吸により、更に多量に、しかも気管支末梢部の末端まで吸飲したものと推認できる。

(4) 救命可能時点

吐瀉物を気管支内に吸引した場合の救命処置としては、吸飲物を除去することが不可欠であり、かつ、まず第一に行うべき措置である。ただ、右処置は、医師が吸引器を用いた場合であつても気管支末梢部まで吸飲した物についてまで吸引することは困難である。まして、吸引器具を具備しない者においては、気管末梢部に有る物はもちろんのこと気管分岐部にある物さえ除去することは不可能なのであるから、嘔吐後直ぐ、気管に吸飲する前に患者の体を横に向けて口内にある吐瀉物を除去する方策を講じるしか救命の術はない。

そして、右(1)(3)のとおり、嘔吐してから吐瀉物を吸飲するまでの時間は比較的短く、かつ、気管支末梢部に至るまで一気に吸飲するのが通常であるから、結局、医師による処置を即座に仰ぐことができない状況下にある通常人においては、嘔吐後即座に口内にある吐瀉物を除去する措置をとらなければ救命することはできない。

(二)  そこで以上の事実関係を前提に、被告が監視義務を尽くしていれば春子を救命することができたか否かを検討する。

前記五1(一)(2)認定のとおり、一般に幼児が嘔吐する際には、音を立てるなど顕著な外部的微表を示す場合とそうでない場合の両方の可能性があり、本件において春子がそのどちらかであつたかは断定できないが、春子が嘔吐した際に音を立てるなど顕著な外部的微表を示した可能性のあることを原告が立証した場合には、被告において反対事実を立証しない限り、春子が嘔吐した際に音を立てるなど顕著な外部的微表を示した可能性のあることを前提として因果関係の有無を判断すれば足りるものというべきである。

本件では被告において何らの反証がないところ、春子が音を立てるなどの顕著な外部的微表を示して嘔吐した場合には、被告が必要な注意さえしていればこれに即座に気付くことができたことは、前記五1(一)(2)認定のとおりであり、かつ、その場合には、被告は即座に吐瀉物を口外に出させ、吐瀉物が気管に吸飲されるのを防ぐ処理をとることにより春子を救命する蓋然性があつたものと解する。

以上によれば、被告の監視義務違反と春子の死亡との間の因果関係を肯定するのが相当である。

2  異常発見後の措置についての過失と春子の死亡との間の因果関係

前記三2(一)及び五1(一)(4)で認定したとおり、被告が春子の異常に気付いた時には、春子は既に吐瀉物を気管支内に詰まらせてぐつたりとし、酸欠状態に陥つていたのであり、このような場合には、もはや気管内に吸飲した吐瀉物を除去することは医師によつても不可能であり、暫くして不可避的な死に至るものであるから、被告が春子の異常発見後に呼吸確認や人工呼吸を行わずにマンションの一階と七階を往復した過失と春子の死亡との間には、因果関係を認めることはできない。

六  損害

春子の死亡による損害を金銭的に評価すると、次のとおり合計三二五三万八五八四円である。

1  逸失利益

賃金センサス平成二年度第一巻第一表、産業計、企業規模計、女子労働者、学歴計、全年齢平均の年間賃金は、金二八〇万〇三〇〇円であり、生活費としてその三〇パーセントを控除し、一八歳から六七歳までの四九年間就労可能であるとして、中間利息をライプニッツ方式によりそれぞれ控除すると(一歳の者の四九年間のライプニッツ係数は、七・九二七)、その逸失利益は一五五三万八五八四円(円未満切捨て)となる。

2、800、300円×0・7×7・927=

15、538、584円(円未満切捨て)

2  慰謝料

前記認定事実によると、本件における春子の精神的苦痛に対する慰謝料としては、金一六〇〇万円が相当である。

3  葬儀費用

春子の死亡により必要となつた葬儀費用について被告に負担させるものとしては、金一〇〇万円を相当とする。

七  遺産分割

《証拠略》によれば、原告は、平成二年一一月一三日、松夫と協議離婚し、その際、同人との間で、春子の被告に対する損害賠償請求権は全部原告が取得する旨の遺産分割協議が成立したことが認められる。

八  保育委託契約第八条について

当事者間に締結された保育委託契約の第八条には、被告が受託中の児童につき、万一事故が発生した場合は、団体加入した保険の範囲内で対処することとする旨の約定があることは当事者間に争いがない。

しかしながら、《証拠略》によれば、被告が加入していた保険は、保険金額が金一〇〇万円という比較的低額の傷害保険であり、被告がそのために原告から徴収した保険掛金も年額金二五〇〇円と低額であつたことが認められる。

これらの事実からすれば、当事者双方は、保育委託契約第八条の免責条項について、受託児が比較的軽度の傷害を負つた場合を想定しており、受託児が死亡するなど重大な結果が生じた場合に、保険金の他に損害賠償の請求をしないことまで合意したものではないと解するのが相当である。

したがつて、被告が右条項を理由として、春子の死亡による損害賠償責任を免れることはできないものというべきである。

九  過失相殺

1  《証拠略》によれば、以下の事実が認められる。

(一)  原告は、松夫と折り合いが悪くなり、平成二年八月ころから、同人と別居することになり、船橋市《番地略》所在の戊田荘に部屋を賃借し、春子と二人で生活することになつた。そして、右賃借に要した敷金等合計約二五万円の支払いのために、ローン会社から借金をし、その借金の返済に迫られた。そのため、昼間の勤務に比較して給料の高い午後七時から午前二時までのラウンジコンパニオンの仕事に就いたのであるが、右勤務時間中は春子の保育を他人に委託せざるを得なくなつた。

これにより春子はそれまでの生活が一変し、午前一〇時から午後一時ころまでの間に起床し、食事、入浴、昼寝の後午後六時三〇分ころ「しちにんのこびと」に預けられ、そこで睡眠をとつている途中に、午前二時ころ勤務を終えた原告が春子を起こして連れ帰り、帰宅後しばらくしてから再び就寝するという不規則な生活を強いられるようになつた。

ところで、原告は松夫から養育費を受け取つていたのであり、通常の昼間の勤務に就けばこれにより得られる収入により右の借金を返済してゆくこともさほど困難であつたとも認められない。少しでも早く借金を返済して春子と通常の生活をするためとはいえ、緊要性があつたものとも認められない。

(二)  前述のように、原告は、本件事故当時の数日前から春子が鼻水を出しており、体調が万全でなかつたにもかかわらず、検温することなく平熱であると見て、本件事故当日、被告に預ける前に春子を入浴させた。しかも、原告は、この日被告に春子を預ける際に、春子が鼻水を出していることを被告に告知しなかつた。

そのため、被告は、春子を特に注意して監視しなければならないとは考えなかつた。

(三)  原告は、被告と本件保育委託契約を締結するにあたり、その保育の内容、体制について何ら調査することもなく、子供を深夜預かつてもらえる所がそこしか見つからなかつたという理由で、「しちにんのこびと」を選んだ。

また、原告は、深夜勤務を終えて春子を「しちにんのこびと」に迎えに行つた際に、保育者が被告一人しかいないことがほとんどであつたことから、夜間は被告一人で数人の乳幼児を観るという保育体制であることを認識していたのであり、その上で春子を被告に預け続けていた。

2  以上の事実を総合すれば、原告は監護者として春子の健康状態を一次的に注意すべき責任があるところ、原告の右慎重さを欠いた行為が本件事故の一因となつたものと言うべきであり、原告側の過失として六〇パーセントの過失相殺をするのを相当とする。

一〇  損益相殺

抗弁3の当事者間に争いのない事実に《証拠略》を合わせると、被告は、本件保育委託契約締結の際に、原告を含めた受託児の親から傷害保険掛金としてそれぞれ年額金二五〇〇円を徴収し、これを基に保険会社との間で被告自身を保険者として傷害保険契約を締結しており、この保険契約に基づいて保険会社から原告に対して金一〇〇万円が支払われたことが認められる。

保険事故が保険契約者の債務不履行によつて発生した場合、たとえその保険料の出捐者が第三者たる賠償権利者であつたとしても、その損害について賠償権利者に支払われた保険金は、賠償権利者が損害を被つたのと同時かつ同一原因によつて受けた利益というべきものであるから、保険契約者が賠償権利者に対して負担すべき損害賠償額から控除されるべきものと解するのが相当である。

したがつて、本件において、被告は、原告に対して、賠償すべき金額から金一〇〇万円を控除した残額の支払義務があるというべきである。

一一  賠償金額

被告が原告に対して支払うべき債務不履行に基づく損害賠償残債務額は、前記六の金三二五三万八五八四円に同九のとおり六〇パーセントの過失相殺をし、それから同一〇のとおり金一〇〇万円を控除した金一二〇一万五四三三円(円未満切捨て)である。

32、538、584円×0・4-100万円=

12、015、433円(円未満切捨て)

一二  以上によれば、原告の本訴請求は、被告に対し、債務不履行に基づく損害賠償残金一二〇一万五四三三円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成三年一月二八日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条を、仮執行宣言につき同法一九六条一項を、仮執行の免脱の宣言(被告が金五〇〇万円の担保を供するときは、右仮執行を免れることができる。)につき同法一九六条三項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 清水信雄 裁判官 野崎薫子 裁判官 中根紀裕)

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